2008年04月11日

定年

中学のときに担任だった先生から、3月で定年退職をしたというハガキが届きました。
約36年間の教員生活だったとのことです。

私たちの中学2年と3年の時の担任で、当時は教育実習が終わったばかり。
教師生活の始まりが私たちの担任だったのは、良かったのか悪かったのか・・・
新米熱血教師と中学生。
お互いにいろいろ問題も起こしましたが、学校生活の中でいちばん印象に残っている2年間でした。

担任だったのは、僅か2年間だったけれど、私の結婚の仲人も無理矢理お願いした先生です。
なにせ、中学のときから私も私の妻も知っている・・・どころか、私たちをひっつけた張本人です。


ハガキの最後に「一期一会」という言葉が書き添えられていました。

私たちの担任になったとき、いちばん最初に教えてくれた言葉です。
毎年、新しい生徒を受け持つたびに、この言葉を教えていたのでしょう。
中学からずっと私の好きな言葉のひとつです。


もうずいぶん長いことお会いしてないけれど、機会があればお酒でも飲みながら昔の話をしたいものです。
 
posted by waki at 17:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月13日

なごり雪

ずいぶんBLOGをサボっています。
毎日、仕事してるか、時間のあるときは本を読んでいるくらいで、全くネタがないのです。


今日の東京は日差しがありましたが、各地では大雪になっているらしいですね。いままで降らなかったのに、卒業式も終わろうという、この頃になって大雪が降っては、その地域の人たちはたいへんでしょうね。


そういえば、遠い昔、私の結婚式はエープリルフールの日に行ったわけですが、その前日が大雪でした。日ごろの行いということでしょう。



以前、テレビ番組の中で、あなたの恋愛シーンにおける思い出の曲は?というのがありました。

季節はずれの大雪のニュースで、ふと思い出したのですが、昔々、まだ私が純情可憐な高校生の頃・・・・


私と妻との出会いは中学2年のときだったのですが、その頃からつきあっていたわけではなく、なんとなく周囲の引っ付けてやろうという意思を感じながらも、高校までは、まあ、仲の良い友人という関係でした。ぶっちゃけてしまえば、私の片思いの部分もあったのですが。

高校3年の受験の頃、彼女がひとつ年上の先輩と付き合い始めたという噂を聞きました。


2月のある日。

彼女が看護学校の受験のために東京へ旅立つ日。

私は彼女を励ましてあげようと、出発の時間に合わせて駅まで行きました。
これもちょっとした陰謀で、友人たち数人で行こうと申し合わせていたのに、駅に着いたら誰もいなかった。まんまとはめられてしまった、間抜けな私、というわけです。



駅のホームは雪で埋もれ、空は今にも雪が落ちてきそうな雲で覆われていました。





ホームには彼女と、彼女の両親、そして・・・・




付き合っていると噂されていた先輩がいました。






特急列車が到着する頃には、とうとう雪が舞ってきて・・・




私はその場に出て行くことができず、ホームの陰から彼女を見送りました。




その時、私の頭の中には、イルカのなごり雪が・・・


帰りの2両編成の電車の中はつらかったなぁ〜。

まあ、今となっては思い出なんだろうけど(妻はもちろんこのエピソードを知りません)。



ネタが無いもんだから、こっぱずかしい話を暴露してしまいました。

 
posted by waki at 19:58| 沖縄 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月28日

昔さがしの旅

旅・・・・ってほどじゃないんですが、日曜日、東伏見へいったついでに西武池袋線の秋津という駅に行ってきました。

昔々、もう20数年前。
結婚した当時に、この駅を利用するあたりに住んでいたんです。

なんか、ひさしぶりに西武線に乗ったら懐かしくなって、さすがにもう住んでいた家はなくなっているとは思ったんですが、ちょっと行ってみようかなと。時間もありましたしね。


駅を降りると、線路沿いを歩き、踏切を越えてとぼとぼと・・・

前方に見覚えのある小さな神社とイチョウの木が見えてきました。

神社と木


駅の周辺は北口ができたり、スーパーが新しくなったり、さすがに20数年の間に変化してましたが、この道はあまり変わってないようです。

神社の先を曲がり、坂を降りると、遠くに団地の貯水塔。

貯水塔

昔、車を借りてドライブに出かけて家に帰ってくるとき、この貯水塔は見えるのになかなか家に帰る道がわからず、30分近くもウロウロしてた思い出があります。
車に乗ると方向音痴なんです・・・


しばらく歩くと、小さな川と古い橋。

渡ると揺れる小さな橋


橋を渡って川沿いに歩くと、昔住んでた町です。

新しい家もできていて様変わりしていましたが、歩いていると見覚えのある看板や家構えが・・・・

20年経ってもあまり変わらないもんですね。


昔住んでいた家は、築10年以上の平屋の一軒家。
妻が猫を飼いたいというんで、アパートから引っ越したんです。

台風がきたらひとたまりがないようなボロ屋で、たしか4畳半と6畳の部屋。4畳半に狭いキッチンがついてました。それと風呂、トイレ。
6畳にベットを置くと、もう歩く場所もないような狭い部屋で、妻と猫5匹と暮らしてました。

当時はお金もなかったし(今もないけど・・・)、今思えばままごとみたいな生活でした。


あの頃すでにボロボロの家。
それから20数年。

さすがに建替えられているか、駐車場にでもなってると思いましたが、町並みが懐かしくてしばらくウロウロしてました。

正直言って家のあった場所もよく覚えてなかったんですよ。


それで、なんとなく見覚えのある場所をたよりにウロウロと・・・

ふと、ある角を曲がったとき、なんか見覚えのある風景。


ああ、住んでたのはこの通りでした。


そして、その通りには・・・














昔の家!ボロでしょう


まだあったんですね。

昔住んでた家。
潰れもせずに・・・・

玄関灯も郵便受けもそのまんま。

もう築何年になるんだろう?
リフォームもしていない。

しかも誰か住んでるみたいだし・・・



家を見たら、一気に昔に帰った思いでした。

ちょっとジワーときたりして・・・・


次は学生の頃に住んでたあたりにでも行ってみようかな?
posted by waki at 20:16| 沖縄 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月15日

あだ名

wakiというのは、中学のときに、今の妻がつけたあだ名でした。由来を書くとちょっとまずいのでナイショですが・・・・

ただ、このあだ名はあまり普及せず(笑)、妻と一部の友人の間でだけ通じるものでした。



それでは、普及していたあだ名はなにかというと、






「チャー」


中学・高校の友人の間では、これが定着してました。


発端は、中学のときの担任。


ある日、国語の授業で中国の古典だったと思うのだけど、西瓜畑を荒らす「チャー」という動物を「さすまた」で刺して追い払うというのがあって、この授業の後から、担任が私のことを「チャー」と呼び出したのです。
ずーーと、そう呼ばれるから、学校内でいつの間にか定着。
まぬけなことに、私自身も呼ばれると返事してました(笑)

なんで呼び始めたのかは、いまだに不明。
きっと当の担任も覚えていないと思いますが、今でも会うと「チャー」と呼ばれます。

授業のイメージでは、チャーというのはモグラとかのイメージで、あまり良い感じではなかったように思います。


こんなあだ名を担任が学校中に広めるなんて、今だったら確実に「イジメ」ですよね。
私が太っ腹だったからいいようなものの(←にぶいともいいますが・・・)、嫌なあだ名をつけられて、イジメを苦に自殺・・・なんてことになっていてもおかしくなかったかも。


でも、当時はおおらかだったんですね(私がにぶいだけか・・・)、愛情の表現と受け取って受け入れてましたね。



ちなみに、この担任。中学の卒業式の当日、「おまえ達と別れたくない!」とか言いながら、男子生徒にビンタくらわしてました。
今なら立派な体罰教師。
でも、それも何とも思わなかったし、問題にした生徒も親もいませんでした。

まあ、その担任の人柄と純粋さゆえだったと思いますが・・・

それに比べて、今の学校の現状は・・・・





後日、私と妻と友人は、

このときの仕返しもこめて、私たちの結婚式の仲人を無理やり押しつけました。

いやがってましたよ。なにせ来賓のほとんどが校長級の人たちの中で、仲人が平の教師。「なんでだよ〜〜〜!!」って言ってましたけど、ビンタのとき言ってたんですよ。「おまえたちの面倒は一生見る!!」って。

イヒヒ・・・


本日の格言:口は災いのもと(なんでよ!!)
posted by waki at 16:39| 沖縄 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月19日

運動会

先週の土曜日はうちの地域の小学校の運動会だったようです。

いつもなら6時頃に花火があがるんですが、今年はあがりませんでした。
そういえば、中学校の運動会の予定日にもあがらなかった。

誰かが苦情でも入れたのでしょうか。

関係のない人には朝っぱらからうるさいだけなのでしょうが、あの花火の音で運動会だ!ってわくわくする家庭もあるだろうに、何とも無粋なことです。


台風が近づいているためか、週間予報では連休中はずっと雨の予報だったのに、土曜日だけはからりとした秋晴れ。
きっと校長や来賓の誰かが、「キミたちの行いが良かったので、雨の予報がこのような秋晴れに・・・・」なんて言っていたことでしょう。



今は私の子どもたちは大きくなって、運動会なんて縁のないものになってしまいましたけど、子どもが幼稚園・小学校の頃は大変でした。

何がって・・・・・


席取りです。



今はどうかわかりませんが、私の子どもたちの頃は加熱していて、前日から並ぶ人もいるほど・・・・

開門はたいがい朝の8時なんですが、朝の5時くらいから並ぶのは当たり前なんです。

私も5時とか5時半頃に敷きゴザ持って並びに行きましたよ。

上の子が幼稚園に入学してから下の子が小学校を卒業するまで11年間!!!

5時頃に行ってもすでに30人くらいは並んでるんです。

6時過ぎたら、もういい場所の確保は絶望的・・・・


なんでこんななんだかよくわからないんですが、伝統的なものだったらしいです。


なにしろ、ニュースの特集で取り上げられたくらいですから。
しかも15分以上。
並んでいる父兄の中にしっかり私も映ってました。
もう、10年程前のことですが・・・



こんなに早くから並ぶので、雨模様だったり、前の日まで雨でグランドコンディションが悪かったりすると、気が気ではありませんでした。
並んでいたら雨が降って、結局中止になったりすると次の日も早起きしなければならない。
そうすると土日まったく休んだ気がしなくて、子どもたちより疲れたりして・・・



だから、朝6時に「運動会やりますよ!」の合図の花火は、とってもありがたいものだったんですけどね。

posted by waki at 17:38| 沖縄 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

雨男

前の会社では雨男という汚名を着せられていました。

私が参加する社員旅行のたびに雨が降るからというのが理由でした。


スペインへ行った時・・・・

マドリードからトレドへ着くと雨。
地元のガイドが「こんな雨の降るトレドは数年ぶりです」といってました。

スペインは沖縄と同様、時間にルーズなのだそうです。
そんなスペインでもAVEという新幹線とサッカーの開始時間だけはきちんと守られているとのこと。

マドリードからセルビアへ行くと、なんと豪雨でそのAVEが遅れる。
しかも、途中の橋が壊れたとかで待ち合わせしている現地ガイドがこない。

アルハンブラも雨。

365日のうち数日しか雨が降らないというコスタ・デル・ソルまでも雨が降り出す始末・・・・



ケアンズへ行った時も・・・・

現地ガイドが「ここ何日も良い天気が続いています・・・」と言ってるそばから雨。
次の日ガイドが「え〜、残念ながら昨日から雨季に入ったようです・・・・」



ナポリでは雨のせいで青の洞窟へいけず。
ニースもモナコもパリも・・・・みんな、雨。

クラビからピピ島へいくと、島についたとたんに雨だし・・・・



さすがに自分でもあきれたのがラスベガス・・・・

この時は社員を2班に分けて、前の週に行って来た人たちは
「40℃以上あるよ!!日影にいないと死ぬぐらい暑いよ!!!」といいながら帰ってきたのに、私たちが行くと・・・・

上着が無いと寒い・・・
これでも7月かよ!!ってぐらいの肌寒さ。
しかも砂漠の都市ラスベガスに雨で水溜りができてる。

ラスベガスに数年住んでいる人も「こんな風景は見たこと無い」というような天気。



でもですよ。
社員旅行や会社の行事は確かに大雨降らせましたけど、サッカーの試合や個人の旅行ではいつも晴れ。
沖縄へ行った時にも夜中以外は晴れてたし・・・・

折りたたみ傘を持ち歩いているけど、めったに使ったこともない。


それで、最近、ふと気がついたんです。
きっと、自分でいやだなぁ〜と思っていると雨が降るんじゃないかと。
あの頃、社員旅行や会社の行事はホントにいやでしたもん。
それが、雨男モードのスイッチを入れていたんですね。


しかし・・・・

そういえば、新婚旅行の初日。長崎は雷雨でした・・・・
これって・・・・・!?

posted by waki at 13:25| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月05日

4番目の会社その2(15年前)

これまでのお話は下記から・・・

最初の職場(24年前)
最初の職場(22年前)
結婚その1(22年前)
結婚その2(22年前)
2番目の会社(21年前)
3番目の会社(18年前)
3番目の会社(16年前)
4番目の会社(16年前)
【番外編】地下鉄サリン事件(11年前)



その通販ショップは、表向きは独立しているような形態を取っていて、本社とは全く関係ない存在となっていました。雑居ビルの部屋に机を置き、電話とFAXで注文を受け、商品は本社の倉庫から出荷されます。
この件を知っているのは本社の人間とクレジット会社と広告制作会社の担当だけでした。

別に法律に触れることをしてるわけではなく、消費者にしてみれば安く買えるからいいようなもんですが、メーカーにばれると最悪出荷を止められます。独占禁止法とかあっても、メーカーは店に対して価格規制を行っているのです。


では、なぜ危険を冒してまで安売り店を運営していたのか・・・・



それにはカラクリがあったのです。



昔は商品には定価というものがありましたよね。

「今でもあるじゃん!」と思った人は間違いです。

確かに定価のある商品もありますが、得に家電製品やパソコンなどのカタログを見ると「オープン価格」となっています。メーカーの決めた定価と、実際の販売価格の開きがありすぎるために定価表示をやめて、表向き販売店に販売価格設定はまかせましょう、ということになったのです。
あくまでも「表向き」です。実際に通販や店頭価格を見ると各社ほとんど変わらない販売価格になっています。

閑話休題・・・


当時の仕入価格は、だいたい定価の60〜65%でした。
その金額で仕入れて、20〜25%引きくらいで販売するのです。


私の通販ショップは、だいたい40〜45%引きで販売していました。

仕入価格とほぼ同じ金額です。


なぜこんなことができたのか。


今はどうかわかりませんが、当時はメーカーによって例えば月に指定商品を1000台仕入れるとか、5000万円以上仕入れるとかすると、仕入台数や金額によってキックバックというのがあったのです。
ノルマのようなものですが、達成すると一律10%〜20%くらい仕入価格が下がります。定価の60%で仕入れていた商品が50%以下になるわけです。


本社では一部で卸販売もしていましたから、この10%〜20%の値引が欲しい。だから、激安通販ショップで儲けを度外視して数を売る体制を作っていたのです。


これは、3番目の会社で書いた「バッタ屋」の仕入手段でもあります。
量販店にしてみれば、バッタ屋に商品を流すことで、大量に商品をさばくことができるばかりか、現金仕入ですから、まとまった現金が入ってくるのです。


通販ショップは順調に売上げを伸ばしていました。

似たような通販ショップは他にもあったため、私たちは毎日そういう店の価格を調査し、常に他店よりも安い価格をつけていました。在庫は本社倉庫に大量にあり、最初から仕入値引分を含んだ価格設定にしていましたから、他店より安い値段をつけていたわりには利益も確保できていたのです。


それに、この店には大きなアドバンテージがありました。

この店に勤めているのは、もともとは本社の店舗で実際に接客営業をしてきた社員です。当然パソコンの知識も豊富です。他店があまりパソコンの知識のあまりない社員やアルバイトを使って機械的に販売しているのに比べると、価格は安くてもしっかりとした説明やサポートができます。


パンクのお兄ちゃんたちは、二人ともなかなか優秀でした。

売上げは伸び続け、ついに月間の売上げが1億円を突破しました・・・・・


入社して1年後・・・・・・
秋葉原の近くに事務所も見つかり、いよいよシステム販売を中心とした営業所ができました。
まだ従業員も決まってないし、通販ショップとのかけもち状態でしたが、やっとスタートです。


そして・・・・





の髪って、こんな色です・・・
 ↓↓↓↓↓↓
インコ髪


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posted by waki at 14:48| 沖縄 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月31日

4番目の会社(16年前)

これまでのお話は下記から・・・

最初の職場(24年前)
最初の職場(22年前)
結婚その1(22年前)
結婚その2(22年前)
2番目の会社(21年前)
3番目の会社(18年前)
3番目の会社(16年前)
【番外編】地下鉄サリン事件(11年前)


結局、3番目の会社は倒産しました。

社長は最後まで自分の会社を守ろうとしたようですが、親父さんの会社が倒産してしまい、共倒れという形にされてしまったようです。


私はというと、倒産前に会社を辞めました。



会社の雲行きがあやしくなってきたころ、私を誘ってくれる会社がありました。
それは、2番目の会社でフランチャイズ店として活動していた会社。


前にも書いたように、2番目の会社では中古のパソコンを中心に、全国に10店舗くらいのフランチャイズ店を持っていました。
業務として、それらのお店に商品を紹介したり、相談に乗っていましたから、お互いに人柄はわかっています。

2番目の会社が業務転換をしたため、フランチャイズは解消となったようで、その会社は独立してパソコンショップの全国展開を始めていました。

その会社の要望は、現在、仙台、秋田、埼玉、千葉、茨城など全国に店舗展開をしているが、店舗展開だけでは限界があるので、東京に営業所を作って提案型のシステム販売を行いたい。そこの所長として開設前の準備からやってほしい。と言うことでした。

この頃、パソコンの価格は下がり始めており、ディスカウント店なども現れ始めていたため、利益率も悪くなっていました。

この時期にそういう形の営業所展開をしていくのも悪くないと思いました。


辞めることを決断した直接の理由は、親父さんや取り巻きが口を出す限り、会社に将来性はないと考えたためですが、結局、誘いに乗ることにしました。




そして、4番目の会社に入社。



事務所探しや人員の確保、体制作りなど、準備には1年くらいかかる見込みです。
その間、兼任でと配属されたのが、表向きは別の会社として運営されていたパソコンの激安通販の店でした。
そこの責任者として頑張って・・・と言われました。
部下は2人。
ひとりは金髪、もうひとりはの髪のパンクロックのお兄ちゃんたちです。
トゲトゲの皮ジャン着て仕事をしていました。
さすがに会社でメイクはしていませんでしたが・・・(^^;;)


なんか、話が違ってきました・・・・



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posted by waki at 18:31| 沖縄 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月27日

3番目の会社(16年前)

これまでのお話は下記から・・・

最初の職場(24年前)
最初の職場(22年前)
結婚その1(22年前)
結婚その2(22年前)
2番目の会社(21年前)
3番目の会社(18年前)
【番外編】地下鉄サリン事件(11年前)


3番目の会社は、売上げも伸び、メーカーと共同で会社を作ったりすることで信頼性も上がってきていたと思います。

しかし、問題がひとつありました。



それは、社長の親父さんの会社・・・・


家電を中心としたバッタ屋でした。

秋葉原を歩いていると、チラシを持ったおじさんやおばさんに「何探してるの?」「安くするよ・・・」などと声をかけたれたことがありませんか?
あの人たちは、だいたいがバッタ屋などへ客を誘導して、売上げの何パーセントかをもらっている人たちです。

流通ルートから外れて市場に出回ってくる商品を「バッタもの」といい、それを専門に扱う業者を「バッタ屋」といいます。現金で安く仕入れて、量販店などよりも安い値段で販売します。
商品の展示などはほとんどなく、店は倉庫のように商品を積み上げているところが多いようです。

すべてがそうかどうかわかりませんが、バッタ屋の仕入には合法と非合法の2つの方法があります。

合法な方法としては、資金繰りの苦しい店などから商品を現金で安く買い叩いたり、倒産した会社から買い叩くなどです。また、4番目の会社の時に書きますが、メーカーから仕入れている量販店やチェーン店からもまわってくることがあります。

そして、非合法な仕入とは、盗難品や横流し品、買取り屋や取り込み詐欺グループが騙し取った商品、あるいは街金が担保に押さえた商品などの仕入です。



私の店は、もちろんメーカーまたはメーカー系の販社から直接商品を仕入れていました。メーカーとの共同会社のこともあり、イメージの悪い親会社とは分離していく方向で経営を進めていました。

しかし、親父さんが、儲かりだした息子の会社に注目し始めたのです。

彼らは、逆に会社を統合することで、共同で事業をはじめたメーカーからも儲けを吸い上げられると考えたようです。



噂では、親会社は非合法な仕入も行っているということでした。




それは、サラ金などの破産者に自分の店でパソコンや家電品をカードで購入させて、系列の中古ショップで買い取るということです(あくまでも噂ということにしておきます・・・)。
定価に近い形でカード決済させ、半額から3分の1くらいの価格で買い取って、新古品として3割引ぐらいで売るのですから、1つの商品で2回儲かるわけです。

しかし、それは違法です。

そんなことをしていると噂のある会社とつながりがあるということは、メーカーとの付き合いに重大な支障をきたします。


せっかく伸び盛りの会社をそっとしておいて欲しい。また、親会社のグループは独自に、正当な方法で経営をして欲しいというようなことを求めて、私たちは抵抗や抗議をしましたが、親父さんは息子の会社の大株主です。親子の情というのもあったようです。


何度かの話し合い、怒鳴り合いの中で、会社の主要な人たちが次々に会社を離れていきました。


そして、私たちが育ててきた会社は、しだいにボロボロになっていきました・・・


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posted by waki at 18:45| 沖縄 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月25日

3番目の会社(18年前)

これまでのお話は下記から・・・

最初の職場(24年前)
最初の職場(22年前)
結婚その1(22年前)
結婚その2(22年前)
2番目の会社(21年前)
【番外編】地下鉄サリン事件(11年前)


2番目の会社がパソコン販売から、親会社との中古車オークション運営会社設立へと業務変換をしようとしているとき、会社を辞めていた先輩から声がかかりました。

それは、秋葉原にあるパソコンショップで店長をしないかというものでした。

悩みましたが、なじみのない中古車販売をするよりはと思い、会社を移ることにしました。
ちなみに2番目の会社は、検索してみたら、当時主任をしていた人が、場所を移して同じ社名で営業をしているようです。



3番目の会社は、秋葉原のはずれにあるパソコンショップ。
親父さんが昔からの家電販売をしていて、その息子が社長。当時、社長の年齢は24、5歳だったと思います。

そんな若い社長の下で、ショップに女の子6名ぐらいを使い、店長をしていました。


ショップは、パソコンも製造しているプリンタメーカーとつながりが強かったこともあり、そこの製品を中心に雑誌広告などで順調に売上を伸ばしていました。

そのメーカーと共同で、当時としては珍しかったサプライ品通販の子会社や、秋葉原内にその場で修理をする修理センターを設立したりもして、この2つの会社は、いまでもメーカーの子会社として運営されています。

パソコンのブームは続き、時代はバブル経済が始まっていた頃・・・・
ショップの売上も会社の事業も順調に進んでいくものと思ってました。



ところが、思わぬところから危機が訪れたのです・・・・。


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posted by waki at 23:37| 沖縄 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月23日

2番目の会社(21年前)

これまでのお話は下記から・・・

最初の職場(24年前)
最初の職場(22年前)
結婚その1(22年前)
結婚その2(22年前)
【番外編】地下鉄サリン事件(11年前)

※どうも息子の年齢とつじつまが合わなかったので、計算しなおして年を修正しました(^^;



それでは続きを・・・


結局、当初2月の予定をいろいろな事情で4月に延期したのですが、結婚式までに仕事は見つかりませんでした。

しょうがないのでそのまま式を挙げ、結婚式から1ヵ月後の5月に、やっと次の会社が決まりました。

会社の場所は表参道。

場違いですが、中古のパソコンを中心に販売している会社です。
また、全国にフランチャイズでショップを展開していました。

当時、パソコンは高価なもので、パソコン本体だけで10万〜30万円。フロッピードライブも5インチ(640MB)で約5万円。8インチ(1MB)で10万円くらい。ハードディスクは20MBで30万円くらいしていたと思います。

それでも新商品が次々に発売されている状況でしたから、とうぜん中古市場もあるわけです。

親会社が中古車販売をしていましたから、そのノウハウもあったのでしょう。

パソコンブームに乗って売上げを伸ばしていきましたが、やはり数年で陰りが見え始めました。

原因は、同業他社が多くなったことと、パソコンや周辺機器の価格が下がり始め、中古の魅力が売るれたこと。

入社して3年ほどで会社は方向転換を図ることとなり、親会社と共同で中古車のオークションシステムを作成・運営することになりました。


そこでまた人生の選択です・・・・(T-T;)

会社に残って中古車の販売を手伝うか、会社を辞めるか・・・


そんな時に、先に会社を辞めていた先輩から連絡がありました。


「秋葉原の店で店長やってみない・・・?」

当時の私にしてみれば渡りに船の出来事でした・・・・・。


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posted by waki at 14:14| 沖縄 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月20日

地下鉄サリン事件(11年前)

WEB NEWSを見ていたら、「地下鉄サリン事件から11年」という記事を見かけました。


もう事件から11年経ったんですね。

最近では、オウム真理教の名前もあまり耳にすることもなく、こういう節目の日にしか話題になりません。



11年前のこの日。


5番目の会社でのことです・・・・・


当時、会社は東銀座にありました。

最寄の駅は、日比谷線の東銀座。

いつもの出社時間は10時頃なのですが、11年前の3月20日は、午前中に提出しなければならない制作物があり、いつもより2時間ほど早く家を出ました。



日比谷線の東銀座駅で降りたのが、7時50分過ぎ・・・・



会社について作業をしていると、やけに外がうるさい。

ヘリコプターが何機も飛んでいるようでした・・・



9時半を過ぎても誰も出社してきません。



10時頃になって電話が・・・



「電車が止まってるんで遅れます。」

私が、「事故かなんかですか?」と聞くと・・・

「え〜!知らないの?何時に出てきたの?テレビつけてみな・・・」



テレビをつけて驚きました。


誰かが地下鉄で毒ガスをまいた・・・?

しかも築地駅でも・・・?

発生時間、午前8時頃・・・・?





8時頃って・・・(゚0゚;)





私の乗ってた電車の、1本か2本あとじゃん!!!(・_・;)ビックリ!



めずらしく早朝出社なんかしたばかりに・・・

北千住駅の乗換えで、1本後の電車に乗っていたら・・・†_(-_-;)




昔のことシリーズ番外編でした。(←シリーズになっているし・・・)


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posted by waki at 16:10| 沖縄 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月18日

結婚 その2(22年前)

昨日は、病院へ検査に行く人や仕事で外出する人があいつぎ、気がつけばひとりで電話番・・・・
ひとりで4回線、どうやって処理しろちゅうんだ!!!

忙しすぎてBLOGの更新もままならず・・・・

遅くなりましたが続きです。
これまでのお話は、新着記事から拾ってください。

-------------------------------------------

青森に帰ったら結婚までのスケジュールがほぼ固まっていました。

私の意思はどうなるの・・・llllll(- _ -;)llllll


結婚することについては、2人で話してもいたのですが、私の会社の状況と、何より両方の両親が反対していました。
ですから、彼女とは、もう少し様子をみようという話をしていました。


彼女の両親は教師。親戚にも教師が多い家系です。
当時、田舎では教師はけっこう地位が高く、しかも教頭でしたから、うちの親に言わせると「学校の先生方と親戚になるのは気が重い・・・」ということでした(弟の嫁さんの両親も教師。兄弟そろって親不孝です・・・(^ ^;)。

彼女の親には「どこの馬の骨」と思われていたのでしょう。

中学から学校が一緒で、その時には別に恋人でもなんでもなかったのに、周りの誤解とかで噂になったりして、両方の親にしてみれば面白くなかったのかもしれません。


しかし、上京してつきあいが深まり、一緒に住んだりしていましたから、両方の親も内心あきらめていたのでしょう。



それと、彼女のおばあさん・・・

彼女は、小さいとき親元を離れ、そのおばあさんに育てられていた時期がありました。
当時、70歳を越えていたおばあさんの容態がかなり悪かったらしく、せめて結婚する姿を見せてあげたいというのが彼女の希望。

彼女から事情を聞いたこともあり、また、反対していた親たちも結婚に軟化している状態だったので、その計画に乗ることにしました。

こうなれば、渡りに船です・・・\(~o~)/


次の日、形ばかりの結婚の申し入れと結納をすませ、結婚式の日取りなどを決めました。

とにかく、おばあさんの容態が変わらないうちにということで、日程だけはおさえようということになったのです。

私としては、会社が倒産することがほとんど確定しており、式までの間に次の会社を決めるつもりでしたから、おばあさんの容態は気になりましたが、年が明けてからということで、式場も仮予約にしてもらいました。

また、彼女と話し合い、会社のことも次の会社が決まるまで黙っておこうということになりました。


そして、再び上京・・・・・


会社は本店1店舗だけを残し、支店をすべて廃止。そこで営業を続けてはいたものの、仕入もほとんど現金のみとなり、銀行からの借り入れなどもうまくいってないようでした。


私は、青森から帰ってからすぐに辞表を出し、次の仕事を探し始めました。


しかし・・・・


パソコンがブームになりかけていたとはいえ、そう簡単に次の会社は見つかりませんでした・・・・


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posted by waki at 23:39| 沖縄 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月16日

結婚 その1(22年前)

なんか昔話がシリーズ化してるし・・・・o(_ _;)o


妻とは郷里が同じで、つきあいも長かったのですが、会社の業績のこともあり、すぐに結婚ということは考えていませんでした。
ただ、当時の田舎では25を過ぎて結婚しないなんてみっともない、という考え方があり、実家や親戚からチクチク言われていたようです。

そんな時期、彼女のおばあさんの具合が悪いということで、しばらくの間、青森へ帰って看病することになりました。




彼女が青森へ帰って、2ヶ月ほど後・・・


一本の電話がありました。








「今度の連休に帰ってこれない?」



急のことなので理由を聞くと・・・・










「ちょうど大安だから結納やろうかってことになったの・・・」



Σ(゚□゚*)ナニーッ!!




どうやら、うちの親に挨拶に行った時にそういう話が出て、彼女の実家でも「つきあってるんだから、そろそろ結婚すれば・・・」みたいなことになり、彼女が青森にいるうちに結婚式をしてしまおう、ということになったのです。



次の日には実家の親から電話があり、
「そういうことだから・・・、帰ってくるんだべ!」




あんたら・・・・、つきあうの反対してたんじゃないの(^^;???


そうなのです。
私たちがつきあっていることを、両方の実家ともあまり認めようとしていなかったのです。



手のひら返しですか・・・??
それとも、クリスマスが過ぎたケーキのバーゲンと一緒・・・???



当の本人には何の打診もなく・・・・
知らないところで段取りが決まっていました。


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posted by waki at 18:14| 沖縄 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月15日

最初の職場(22年前)

最初の職場は、社員の間でも、もう危ないのではという噂が立っていました。

当時は、今のようなインターネットもなく、誰でもが便利に使えるソフトというものも少なく(まだ、エクセルとかワードもありませんでした・・・)、ブームではありましたが、パソコンの購入者は限られていました。

東京ではパソコンといえば秋葉原という状況。
そんな中で、秋葉原を避けるような形での出店攻勢や、メーカーとしてソフト制作や出版、周辺機器の販売などの展開を計り、その急激な成長にほとんどの社員が危惧している状況でした。

たとえば、東京郊外の駅前にあるデパート内に出店したときのこと。
応援ということで1週間その店に出向しました。
その1週間の間に、商品を購入したお客さんはひとりだけ・・・・
店の掃除をする以外にすることのない1週間でした。

急激に店を増やしていったために、そういう採算の取れない店も多くあったようです。



裏切りによって店の商品がなくなったとはいっても、これまでのお客さんも取引先もあります。

それから数ヶ月は残務整理に追われました。



そして、正式に倒産する前に退社・・・

次の仕事のあてはありませんでしたが、パソコンブームも続いており、どうにかなると思っていたのですが現実は厳しく。

半年後にやっと次の会社が決まりました。



実は、倒産前に結婚が決まっており、この失業期間中に結婚式をしたのです・・・・

両方の親に失業はナイショでした。(^^;;


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posted by waki at 16:04| 沖縄 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月13日

最初の職場(24年前)

前の職場は十数年勤めましたが、それまでは3年おきくらいに会社をかわるという、落ち着きのない生活をおくっていました。

若気の至り・・・というのもありましたが、なぜか辞めた会社が倒産したり、業務変更をするのです。

一番最初に勤めた会社は、日経新聞社の本に取り上げられるほどの急成長と突然の破綻をしました・・・・
そう、ちょうどライブドアのように・・・


その会社は最初、パソコン販売のショップ展開をしている会社で、当時、NECのPC8001とか富士通のFM-8とかいう機種が出始めた頃。

知ってますか?

昔のパソコンは記憶媒体がカセットレコーダーだったんですよ!

プログラムやデータが入ったカセットテープをパソコンにつないで読み取るんです。
ジ〜〜ピィロピィロピィロ〜ピ〜〜・・・とかいいながら、読み終わるまで数十分・・・。

もちろん、WINDOWSもありません。
NECや富士通、シャープとか、各社ごとに互換性がなく、ソフトウェアも機種ごとに販売していました。



訳あって就職しなければならなくなった私は、就職情報誌で見つけたこの会社に面接に行きます。

面接をしてくれたのは、南国の人?と思うような、色黒で、でっぷりして、髪のチリチリな社長・・・

面接のときどういう話をしたかは、もう覚えていませんが、

「明日からこれるかい?」

というように、あっさり決まったのは覚えています。

このときパソコンに関する知識はゼロ


この会社、当時のパソコンブームに乗って次々とショップ展開を進め、入社して2年程でパソコンソフトやパソコン関連の本を出版。さらにOEMでディスプレーを発売したりと、破竹の勢いで成長していました。

社員は安月給でこき使われましたけどね。

印象に残っているのは、この会社を辞めた後に入った会社とのボーナスの違い。
ボーナスといっても5月入社なので1か月分ほどの寸志だったのですが、最初の会社のボーナスの額より多かった・・・・

当時、ボーナスは社長と役員がクジで決めてる・・・という噂が流れたほど・・・




この会社が倒産したのは、ちょうど入社して2年ほどのお盆の最中・・・・

社長は夏のバカンス中。

ちょうど定休日の翌日で、社員が店に出てくると・・・・





店の中がからっぽ!(゚□゚;)~ガーン


展示していたパソコンも、在庫も何もなくなっていて・・・

残っているのはテーブルだけ・・・


後で聞いた噂によると、資金繰りが苦しくなっていた会社を見捨てた専務が、部下数名をひきつれて債権先の会社へ移ることを条件に、鍵を渡し社長のいない隙に商品を引き渡したのだとか・・・


マンガのようなホントの話で、当時、出勤した社員は呆然としていたそうな・・・


その頃私は・・・・

実は、商品が運び出されている店のすぐそば、夜行バス乗場で、今の妻と旅行に行くために夜行バスを待っていたのでした・・・・
♪ルン(^-^*))((*^-^)ルン♪

会社が潰れるとも知らないで・・・・・(^^;;


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posted by waki at 17:56| 沖縄 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 昔のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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